日吉雄太 プロフィール
1968年8月7日生まれ | |
1987年 | 静岡県立韮山高等学校卒業 |
1996年 | 一橋大学商学部卒業 |
1997年 | 会計士補登録・監査法人入所 |
2001年 | 公認会計士登録 |
2012年 | 日吉雄太公認会計士事務所設立 |
2017年 | 第48回衆議院選挙において、比例東海ブロックにて初当選 |
2021年 | 第49回衆議院選挙において惜敗 (捲土重来を期して奮闘中) |
2022年 | 税理士登録 |
血液型 | A型 |
趣味 | 釣りと芳香浴(アロマ) |
好きなスポーツ | サッカー |
好きな食べ物 | 鯵の刺身 |
長所 | プラス思考なところ |
短所 | 諦めが悪いところ |
資格等 | 公認会計士・税理士・アロマテラピー検定1級取得 |
好きな言葉 | 変わらずに生き残るにはみずから変わらねばならない ~We must change to remain the same.~ |
1968年 (昭和43年) |
8月7日サラリーマン家庭の長男として生まれる |
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1981年 (昭和56年) |
静岡県伊東市立富戸小学校卒業 放課後は、毎日、サッカーの練習をしていました。5年生の時に伊東市の小学校サッカー大会で優勝したことがとても印象に残っています。 |
1984年 (昭和59年) |
静岡県伊東市立対島中学校卒業 生徒会の役員選挙に立候補し、副会長をやらせてもらいました。選挙の際に、全校生徒の前で応援演説をしてくれた同級生の話が非常に面白く、そのおかげて当選できました。 |
1987年 (昭和62年) |
静岡県立韮山高等学校卒業 高校から徒歩5分のところで3年間下宿生活をしていました。同級生6名を含む計8名での共同生活で、たくさんの経験を積むことができました。韮山町で暮らした高校生活はかけがえのないものでした。 |
1996年 (平成8年) |
一橋大学商学部卒業 原価計算のゼミに入りました。週1回のゼミはとても長時間でしたが、終わってから仲間と一緒にする食事がとても楽しみでした。卒論は、伊丹敬之先生の「Adaptive behavior」を読んで、原稿用紙100枚手書きしました。 |
1997年 (平成9年) |
会計士補登録 4回目のチャレンジで公認会計士第2次試験に合格し、会計士補登録しました。 |
1997年 (平成9年) |
監査法人入所 会計士補登録後、すぐに監査法人に入所し、監査業務に従事しました。最初の1年間で30社程の会社の監査に携わりました。 |
2001年 (平成13年) |
公認会計士登録 公認会計士第3次試験に合格し、公認会計士登録をしました。 |
2012年 (平成24年) |
監査法人退所 政府の福島第一原子力発電所事故の対応に疑問を持ち、政治家を志すため有限責任監査法人トーマツを退職して、独立することを決意。 監査法人では、主に上場会社、学校法人等の監査を担当しました。この年、15年間の監査法人での生活に区切りをつけました。多くの会社で多くの方々にお会いして得た経験は、私の大切な宝物となっています。 |
2012年 (平成24年) |
日吉雄太公認会計士事務所設立 出身地である静岡県伊東市に公認会計士事務所を設立しました。 |
2012年 (平成24年) |
第46回衆議院総選挙に静岡6区より出馬するも落選 日本未来の党公認で衆議院総選挙に立候補しました。残念ながら当選することはできませんでしたが、私に投票してくださった20,169名の方々の思いをしっかりと噛みしめてまいります。 |
2015年 (平成27年) |
静岡県議会議員選挙に伊東市選挙区より出馬するも落選 民主党、維新の党、生活の党の推薦を頂き、無所属で伊東市選挙区より立候補しました。12,620票を頂戴しましたが、残念ながら当選することはできませんでした。もっと修行を積みます。 |
2016年 (平成28年) |
第24回参議院議員通常選挙に出馬するも落選 生活の党から比例区で立候補しましたが、落選しました。 |
2017年 (平成29年) |
第48回衆議院総選挙に静岡7区より出馬、比例復活当選 急きょ静岡県第7区に移り、立憲民主党公認で出馬。あまりにも急な立候補でもあり、父親の車に看板とスピーカーを取り付け、ぎりぎり間に合ったポスターを自ら貼りながら、選挙戦に挑みました。多くの皆様のご支援をいただき、26,383票の得票数は3番手だったものの、惜敗率20.37%ながら比例東海ブロックで初当選を遂げました。 |
2018年 (平成30年10月) |
立憲民主党を離党し、自由党に入党 9月、自由党幹事長の玉城デニー衆議院議員が、議員を辞して県知事選挙に出馬して、見事当選を果たしました。しかし、少数政党である自由党は、衆議院議員において2名の政党であり、玉城議員の辞職により、衆議院議員は小沢代表一人となって、自由党の衆議院会派が消滅にいたりました。このような状況において、野党再編、野党の結集により、政権交代を実現していくためには、どうしても小沢代表の力が必要であり、今、衆議院において自由党の旗を降ろすわけにはいかないと考え、立憲民主党を離党し、自由党に入党することを決断しました。これにより、衆議院における自由党会派は、存続できることになりました。 |
2019年 (平成31年4月) |
自由党、国民民主党と合流 自由党は、国民民主党と正式に合流することになりました。先の統一会派の結成の後、逐次同党と政策協議を進めてまいり、最終的には「今後全野党が一丸となって安倍政権と対峙していくためには、ここでまず二党が一緒になることが不可欠である」との認識に至り、このような決断となりました。 必要なことは全野党の結集です。今回の合流はその始まりに過ぎません。「強大な権力」の暴走には「強力な結集」で臨むほかありません。何としても「結集」を実現し、政権交代を実現したいと考えております。 |
2020年 (令和2年9月) |
新しい「立憲民主党」に合流 昨年12月から立憲民主党と国民民主党の協議が始まった合流協議は、数十回の会談や協議を重ね、8月初旬に新党の綱領案、規約案、代表・党名選挙規約案を取りまとめるに至りました。これを基に8月24日に、立憲民主党、国民民主党、社会保障を立て直す国民会議、無所属議員フォーラムの幹事長で新党結党の合意書を交わしました。9月3日の時点で、149名の国会議員が参集し、9月10日に新党の代表と党名を決定する選挙を実施しました。代表は枝野幸男氏、党名は『立憲民主党』に決まりました。9月15日に都内で結党大会を開催し、野党の大きな塊として、新しい『立憲民主党』がスタートしました。 国民の皆様から政権を任せていただけるよう、新党の政治理念、政策、そして目指すべき社会像を、私達一丸となって訴え、国民の生活を第一とする政治を実現するために邁進してまいります。 |
【 経 歴 】
■文部科学省での活動
2008年 学校法人会計基準の諸課題に関する検討会協力者就任
2009年 中央教育審議会大学分科会大学規模・大学経営部会専門委員就任
※現在、上記委員等は退任しております。
■日本公認会計士協会での活動
2007年 学校法人委員会副委員長就任
2008年 学校法人委員会監査事務所対応専門委員会専門委員長就任
2008年 監査業務審査会専門調査員就任
2010年 学校法人委員会学校法人監査業務品質管理対応専門委員会専門委員長就任
※現在、上記委員等は退任しております。
■国会での活動
2020年 衆議院財務金融委員会理事
※現在、上記委員等は退任しております。
■現在
立憲民主党静岡県第7区総支部長